1.「征服王朝」の時代とは?
唐代以降、中国北方の遊牧民や狩猟農耕民たちは、民族文字の制定に象徴されるように強い民族的アイデンティティーを持つようになり、やがて遼、金、元、清という強大な王朝を建てて、漢民族を中心とする従来の国際秩序に対抗し、東アジアさらにはユーラシア大陸全土に新たな国際秩序を築いていきます。こうした新たな王朝をウィットフォーゲル(Karl August Wittfogel、1896-1988)は「征服王朝(Conquest Dynasty)と呼んでいます。
【問題】1279年、南宋の滅亡により、漢民族王朝は滅亡し、中国はモンゴル帝国の支配下に入ります。こうした国際情勢の変化を当時の日本人はどのように受けとめたのでしょうか?
2.輪読発表(担当:三木・清水(岸山))
第4章 10~12世紀の東北アジア国際秩序と日本・高麗
1.東北アジア世界の再構成(太田・齊藤(中山))
2.10~12世紀の日本・高麗の関係(太田・齊藤(中山))
3.グループワーク
894年に遣唐使の派遣を中止して以降、日本は独自の民族文化を育む国風文化の時代を迎えました。その中でとくに重要な役割を果たしたのが「仮名」の誕生と普及ですが、こうした民族文字が民族のアイデンティティーや文化の発展に果たした役割について、アジア全体の視点から考えてみましょう。