法政学の探究LA「戦争の中を生きた学友たち~久納好孚を例に」: リビジョン

最終更新: (更新者 鈴木 靖
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A 配属将校が陸軍の現役将校ばかりなのは、陸軍のリストラ対策と総力戦への備えのためです。

 大正時代の初め、日本は、欧州を主戦場とした第一次世界大戦のおかげで好景気に湧きました。ところが戦争が終わると状況は一転。急速な景気の減退で、倒産が相次ぎました。その結果、第一次世界大戦後の世界的な軍縮の動きもあり、日本では膨大な予算を食う軍に対して批判の声が上がるようになりました。1919年(大正8年)には、なんと国の財政支出の65%を軍事費が占めていたというのですから、国民が怒るのも当然です。このため1923年(大正12年)、関東大震災が起こると、政府はその復興費用を捻出するため、大幅な軍縮を断行します。陸軍21師団の中、4師団が廃止され、34000人もの将兵が削減されました。

 この軍縮により、国の財政支出に占める軍事費の割合は30%以下にまで下がりましたが、困ったのは陸軍の将校たちです。一般の兵士たちは、もとの仕事に戻ればいいわけですが、職業軍人である将校たちはそういうわけにはいきません。そこで軍は、彼らに新たな職場を与えるために、大学と私立学校を除く、中等学校以上の学校に将校を配属することを検討します。リストラ対策を行うとともに、第一次世界大戦で明らかになった総力戦への備えにしようとしたのです。

 こうした政府の動きに対し、当時の学生も全国学生軍事教育反対同盟を組織し、反対運動を行いました。しかし、その運動も虚しく、1925年(大正14年)、「陸軍現役将校学校配属令」が公布され、中等学校以上の学校及び多くの私立学校に陸軍の現役将校が配属されることになりました。

 

大蔵省昭和財政史編集室編『昭和財政史』第4巻臨時軍事費(東洋経済新報社 1955年).pdf 大蔵省昭和財政史編集室編『昭和財政史』第4巻臨時軍事費(東洋経済新報社 1955年)
   
   
   

 

 

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