法政学の探究LA「戦争の中を生きた学友たち~久納好孚を例に」: リビジョン

最終更新: (更新者 鈴木 靖
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A 配属将校が陸軍の現役将校ばかりなのは、陸軍のリストラ対策のためです。

 大正時代の初め、日本は、欧州を主戦場とした第一次世界大戦のおかげで好景気に湧きました。ところが戦争が終わると状況は一転。急速な景気の減退で、倒産が相次ぎました。その結果、第一次世界大戦後の世界的な軍縮の動きもあり、日本では膨大な予算を食う軍に対して批判の声が上がるようになりました。シベリア出兵を行ったには、なんと国の財政支出の%を軍事費が占めていたというのですから、国民が怒るのも当然です。1923年(大正12年)、関東大震災が起こると、政府はその復興費用を捻出するため、大幅な軍縮を断行します。陸軍21師団の中、4師団が廃止され、34000人もの将兵が削減されました。

 この軍縮により、政府の財政支出に占める軍事費の割合は%にまで下がりましたが、困ったのは陸軍の将校たちです。彼らに新たな職場を与えるために、政府は中等学校や大学に陸軍の将校を配属することを検討します。中等、高等教育を受ける若者に軍事教育を施すことで、とかくリベラルに走りがちな彼らに思想教育を行うとともに、有事の際の将校予備軍を育てようとしたのです。

 こうした政府の動きに対し、当時の学生も全国学生軍事教育反対同盟を組織し、反対運動を行いました。しかし、その運動も虚しく、1925年(大正14年)、「陸軍現役将校学校配属令」が公布され、中等学校以上の官立学校及び多くの私立学校に陸軍の現役将校が配属されることになりました。

 

 

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