2019年1月19日 撫順旅行、歴史系博物館の締め

こんにちは、復旦大学に留学している王林思遥です。

 

 瀋陽2日目は硬座に約1時間乗って撫順に行きました。撫順の街は他の街と比べぼろぼろな感じでしたが、人があまりいないためのんびり博物館の展示を見ることができます。

 

 最初に撫順戦犯管理所旧址という日本人戦犯や清国最後の皇帝溥儀が収容されていた場所に行きました。有料でしたが高くはないです。

 

 虐殺、拷問、人体実験など非人道的なことをしていた日本軍に対して周恩来、毛沢東をはじめとする中国共産党は1人も犠牲者を出してはならないと人道的に戦犯を収容し、最初は反抗しながらも中国の思想教育によって徐々に自分の罪を認め、釈放後は日中戦争や日中友好を語る戦犯達の姿や中国の取り組みが書かれており非常に感動しました。

 

 最初は反抗し、裏で政権を奪い返す計画をしていた溥儀が召使いからお仕えできないと言われてから自分の罪を認め反省し、自立できるよう生きていくという展示もありました。

 

 残酷なことをしていた日本人に対して寛大な態度で日本人を思いやり人道的に教育した中国や釈放後の戦犯達の行動から日中友好を考えさせられ胸が熱くなり、あんなに酷いことをされたのになぜ中国はこんなに優しいのだろうかと思いました。というわけで撫順戦犯管理所旧址おすすめです。日本語訳ありますよ!

 

 次に平頂山大虐殺記念館に行きました。平頂山大虐殺事件とは平頂山付近に住んでいた住民の抗日活動に対して日本軍が3000人余りの住民を殺害し証拠を隠滅するために山にガソリンを撒き爆破した事件のことです。日本語訳あります。

 

 日露戦争あたりから始まり撫順の人々が炭鉱での労働に苦しんだ話、抗日活動、平頂山大虐殺、平頂山大虐殺に関する日本人の活動など書いてありました。大虐殺と聞いて最初は怖かったのですが実際に見たらそこまで怖くなかったです。

 

 外には記念碑、遺骨が堆積されている場所や碑文には体験者の話が書いてあるので是非見てください。

 

 おまけになりますが中国の戦争に関する記念館はほとんど無料にも関わらずクオリティーがとても高いです!!平頂山大虐殺記念館で抗日戦士の銅像を見ている際頭上から大きな抗日音楽が流れて驚きました笑笑

 

 今日で東北の戦争に関する記念館に行くのは終わりです。東北で様々な戦争に関する記念館に行き、日本軍が中国で何をしていたのか、それに対して中国人はどのように戦い勝利をつかんだのか、中国人は日本人戦犯に対してどのように教育したのかなど日中戦争について理解を深めることができました。

 

 なぜ日本は戦争を起こしたのか、日本は中国で何をしていたのか、中国人はどのような苦しみを受け戦ったのかなど戦争について日本人、中国人がそれぞれお互いに知り次世代に語り継ぐことで戦争を二度と繰り返さないよう平和な世界をつくり日中友好を築いていくことができるのではないでしょうか。忘れてしまったら二度とこのような悲劇が起こってしまうかもしれません。

 

 私は博物館で学んだ内容を家族、先生、友人、ゼミの仲間、将来の自分の子供や孫などの次世代と多くの方に伝え、過去を踏まえた上で日中戦争だけでなく将来についても一緒に考えていくことが戦争を経験していない私に出来ることではないかと考えました。

 

 重い話になり長文になり大変申し訳ありませんがこれが歴史面での東北旅行の感想です。

 

夜は瀋陽で鹿鳴春という溥儀が大好きだった料理のある店で食べてきました。

 

 明日は最後の東北観光なので普通に遊んできます(^ω^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    • 鈴木 靖
      鈴木 靖

      王林さん

       

       撫順戦犯管理所旧址と平頂山大虐殺記念館についての報告、ありがとう。

       昭和の初め、日本は歴史の流れを見誤り、時代遅れの植民地獲得競争に邁進していきます。五四運動で民族意識の高まった中国では、各地で抗日武力闘争が始まり、それを制圧しようとする日本との間で報復合戦が繰り返されていきました。

       問題の発端は、第一次世界大戦後の国際情勢の変化──国際協調と民族自決の時代へという歴史の流れの変化を日本の指導者が正しく把握できなかったからでしょう。もちろん幣原外交で知られる幣原喜重郎のように歴史の変化に対応しようとする政治家もいました。しかし、やがて五・一五、二・二六と続く軍事テロによって良識ある政治家たちは、ある者は殺され、ある者は発言の場を失い、またある者は軍部に迎合していってしまいます。

       平頂山大虐殺記念館はその中で起こった悲劇を今日に伝えるものです。

       一方、こうした時代の中で生まれた憎しみの連鎖はどうすれば断ち切ることができるのか。終戦後、各地で戦犯裁判が行われ、国の指導者だけでなく、多くの末端の兵士や軍属が処刑される中で、一人の処刑も行われず、故国に帰ることを許されたのが撫順戦犯管理所に収容されていた戦犯たちでした。

       この二つの施設は、歴史の中で起こった悲劇と、憎しみの連鎖を断つための努力を後世の人々に伝える価値ある史跡だと思います。

       それでは、続報を楽しみにしています。

       

    最新のコメント

      • 梁 錦川
        梁 錦川 さんが 2020年1月5日(日) にコメント (): 吉永さん、SA中国の皆さん、こんばんは。 4ヶ月間お疲れ様でした。そして成人おめでとうございます! 写真の皆さんの笑顔はとても素敵です。 これからが大変か...
        • 鈴木 靖
          鈴木 靖 さんが 2020年1月5日(日) にコメント (): 吉永さん  帰国のご報告、どうもありがとう。  曽先生からもお知らせいただきましたが、みなさん無事帰国されたとのこと。写真を見ても、元気そうなので安心しまし...
          • 鈴木 靖
            鈴木 靖 さんが 2020年1月3日(金) にコメント (): 山元さん  中国は大陸的なおおらかさが残っているところがいいですね。  fixiでのみなさんのご報告、私も楽しく読ませていただきました。最後まで忘れずに報告...
            • 鈴木 靖
              鈴木 靖 さんが 2020年1月2日 にコメント (): 許さん  お勧めのお土産の紹介、ありがとう。  帰国報告会で会えないのは残念ですが、SA中国のすべてというfixiへの投稿、楽しみにしていますね。  それ...

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