第18回 秋の遠足
目的
韓国併合から13年後の1923年、関東大震災が首都圏を襲います。震災の直後に広まった流言飛語を信じた人々は、朝鮮や中国から来た人々を無差別に殺戮しました。保護しようとした警察署も暴徒に襲われ、警官も命を狙われる始末。そうした中、鶴見警察署にも300名近い朝鮮や中国の人々が保護を求めて避難してきました。彼らの引き渡しを求めて、群衆が押し寄せます。
さて、あなたが当時、この警察署の署長だったらどうしますか?また、あなた自身、あるいは友達や恋人、家族が群衆に襲われそうなったらどうしますか?
当時、鶴見分署長だった大川常吉さんの事績を読み、事件の現場を訪ね、考えてみましょう。
▼大川常吉神奈川警察署鶴見分署長
日程
15:05 大学出発
15:23 飯田橋駅発(JR総武線)
15:30 秋葉原駅着
15:39 秋葉原駅発(JR京浜東北線)
16:15 鶴見駅着
16:20 鶴見駅発(JR鶴見線・海芝浦行)
16:26 弁天橋着
16:50 東漸寺着
「故大川常吉之碑」を見学
17:30 東漸寺発
17:35 (株)おきなわ物産センター着
・(株)おきなわ物産センターでメープルくるみアンダギーを食べる
18:45 (株)おきなわ物産センター発(徒歩)
・仲通
・本町通
・潮見橋(潮見の渡し跡)
19:10 京急鶴見駅着
・Chikin'Z鶴見店で夕食
20:40 鶴見駅着(現地解散)
関東大震災時の鶴見町の状況
年月日 | 出来事 |
1923年9月1日 |
11時58分、関東大震災が発生。鶴見警察署管内で43名の死者と170名の負傷者が出る 16時ごろから、潮田方面の住民6000人(数百名の朝鮮人労働者を含む)が津波を恐れて鶴見町へ避難、総持寺の境内に集まる |
2日 |
潮田方面から避難していた住民が帰宅。若干の朝鮮人労働者が総持寺に残る 早朝、横浜で朝鮮人数千人が井戸に毒を投じ、残虐を恣にしているとの噂が伝わる 正午ごろ、横浜方面から避難してきた中国人4名を豊岡の住民が捕らえ、警察に連行。 大川署長、所轄の住民を集め、流言飛語に惑わされるよう訓話を行い、朝鮮人らを総持寺境内に移す |
3日 |
土地の有力者らが、朝鮮人らを放逐するよう要求。大川署長はこれを拒否し、警察が責任をもって保護すると、住民を説得。 18時すぎ、朝鮮人220名、中国人70名を署内に収容 |
4日 | 大川署長、収容した朝鮮人・中国人らにこれまでの経緯を説明 |
9日 | 収容していた朝鮮人・中国人計301名を潮田の浅野造船所岸壁から汽船華山丸に収容 |
▼大川常吉宛感謝状(鶴見潮田両町在住鮮人一同 大正13年2月15日)
参考資料